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2006年08月22日

噂の“じゃくちゅう”見てきました

東京国立博物館で開催されているプライスコレクション 若沖と江戸絵画展に行ってきました
日曜日に行ったのですがとにかくすごい人だかりで、ちゃんと観ることが出来ませんでした

展示されている作品のうち若沖のものは1~2割程度、
たしかに若沖の描いたものも素晴らしいのですが、彼の名前だけを冠するほどに他の作家よりも優れた個性を感じるというほどでもなかったというのが率直な感想ですかね
今週末で終わってしまうのが残念ですが、あとは画集でじっくり楽しむことにします

そういえば、ちょっと前まで“わかおき”だと思ってました、“じゃくちゅう”なんですね
昔の人の名前は表記と読みの関係が一定しないので、明治の頃から国文学の世界では、“とりあえず音読み”というスタンスを持ち始めたらしいとのこと。(ざっと読んだだけのソース)

2004年11月27日

南フランスと前衛絵画

銀座にて「南フランス、近代美術創造の地」と題された講演会に出席した。サン=トロペ美術館館長のジャン=ポール・モヌリ氏を迎えてのものである。

 19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、パリで抑圧された画家たちが自由な場所を求めて訪れたのが南フランス。シニャックを先駆けに、ボナール、スーラ、マティスなど様々な画家が訪れ、対象の原型・色彩に囚われない絵画を生み出していったそうだ。その変遷は、当初色合いの変化から始まり、徐々に構図の抽象化へと向かっていく。私は最近訪れた南仏の経験からなんとなく彼らの気持ちを感じ取った気がした。
 パリで前衛的な絵画を否定された画家たちが、その抑圧的な“都会”から移った瞬間、美しい景色・降り注ぐ太陽・乾いた風といった素晴らしい土地に出会う。当初はその開放感に周りの景色を切り取っていく、その色彩豊かな世界をむさぼり食っているかのようである。
 たしかに南フランスは美しい。しかしながら、私は彼らのクリエイティビティの源泉は、南フランスの気候や土地だけではないように思う。パリという都会からの距離、情報からの遮断、といったことが彼らの飛躍を可能にしたような気がする。

 情報インフラの発達によって狭くなる社会。我々は、他人の評価とは無縁に自分の思いに専念できる場所を確保できるのだろうか、、、
 それとも“他人の評価を気にかけない”能力を持たなければならないのだろうか。

 拡大する情報インフラが、“批判者”ではなく“共鳴者”の存在を知らせてくれる存在へと発展してくれることを祈りたい