『哲学の現在-生きることと考えること-』中村雄二郎著を読んで
堅苦しい文章に疲れて流し読み、ただ一点面白かったのでメモする
ドイツの詩人エンツェンスベルガーが取りあげた、メディアが民衆に与える影響についての事例
「ドイツの自分の何代もまえから住んでいる家に、古い戸棚があって、何かの折りにその奥に手を入れたところ、太いひもで括られた小さな、古ぼけた手紙の束が出てきた。何かと思ってほどいてみたら、なんとそれは、若いときに祖父と祖母とが互いに宛てて書いた愛の手紙の数々であった。ところで、これらの手紙を分析してみると、ある事実が明らかになった。これらの愛の手紙は、その時代やその社会に広く読まれた作家の小説や手紙の一つの反響であり反映であるということである。とくにゲーテの小説や手紙は、祖父母の世代の多くのドイツの若者達に、学校や家庭での読書を通じて、恋愛の手順や感情の表現について一定の形式を与えずにはおかなかった、と(「制度としての文学」)。」
自分の心からの表現と思って用いている表現は、実はメディアを通じて得た“表現方法”という知識から影響を受けていることらしい。
たしかに、一度知ってしまった知識の影響を排除することは困難であり、このようにメディアへの接触頻度や手段が多様化した社会では、他者の価値観が自分の中に流入することを拒絶しづらい。
そのような時代になると、「自分としての表現」=「他者への反動」となりがちな気がする
他人と同じは嫌、オリジナリティが大切、世界に1つだけの花。ぜーんぶ実は他者への反発によってもたらされた鏡面世界なのかもしれない。
そうなると、トレンドは、「善と悪」「アナログとデジタル」「女らしさと男っぽさ」「ゴージャスとシンプル」など、極端な Binary Oppositionを交互に迎えるだけなのだろうか。
と飛躍してみる